【飛騨の匠はなぜ有名なのか  】
カテゴリ: 森林・林業・製材・材木・住宅
【なぜ飛騨の匠が有名なのか 】



その名を八野忠次郎(はちのちゅうじろう)という。

飛騨の匠の中でも巨匠中の巨匠。


とある工務店の会長(80)の妻の父。
この一族(役員兄弟)の祖父になる。
みな飛騨の匠の血が流れている。


この工務店の20代の若手の社員が、
九州に出張に行ってこういわれたという、

「お、君の所は、飛騨の匠だね」といわれ嬉しかったと。


今日のプロジェクトで同席した
とある若手は、この入社1年、
自社の製材部門を経験し、現場(監督)に着いた。


「現場のレベルの高さがあって
   営業につながっていくものである!」

と指導を受け、
一生懸命頑張っている。

彼とは岐阜県の研修セミナーで出逢った。

その技術の高さが誇りとなっているのが飛騨の匠である。

9か月ぶりに出会い成長していたが、
やはりその前提の技術力に、製材を知る、木材を知る。

その訓練があって、飛騨の匠となれる。



実は、この工務店は、
「旅する大工」集団がいるのだ。


木材(原木)を自ら選び、製材し、墨付けをし、
すべての部材を輸送し、福岡、札幌まで自社の大工集団が出張し、
2~3か月現地に住みながら、建築を行う。


有名な「かに道楽」の店舗をはじめ、
社寺仏閣も諸々の施工事例がある。


そう、八野忠次郎は、

戦後当時から全国に飛騨の匠を4~50人連れ添って
施工をした、当初の第一チャレンジャー。

当時は建築ブーム、
別に地域の中だけでも十分に仕事があっ
た。
充分に儲かる市場があったにもかかわらず
全国に出て回った。



「俺たちの技術を全国で試したかった!」


という。


八野忠次郎の飛騨一日一話(1979)という著書がある。
その一話一話に色々な地域のエピソードもある。


飛騨の匠がなぜ有名か、

それは、
かの彫刻で有名な左甚五郎(日光東照宮)も飛騨の匠。

著名な方を輩出され
高い技術力がずっと永続しているのは事実であるが、
それは別の書物等に譲りたい。

実は、それだけではない。

そう、それは、
旅する大工たちの熱い情熱、営業力、
血のつながり、のゆえんなのである。


<追伸>
高野聖(こうやひじり)が
真言を唱え、全国に飛び回ったのと似ている。



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編集 / 2013.06.05 / コメント: 0 / トラックバック: - / PageTop↑
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地域ブランド創造を切り口に、地域再生、森林再生に携わる古川大輔が現場感あふれる日々をブログにアップ。コンサルタント視点のコラムもあり、地域経営、会社経営、人生経営のヒントにもご覧ください。 ~地域・地方にこそ美しい日本の宝あり~

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株式会社 古川ちいきの総合研究所 
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