【85年】




本日は某美術大学にて木工、木造のデザインの専門の教授と出
会った。今日の目的は、ただの顔合わせ。その予定が、ずいぶ
んと話が進み、私が大学の講義の中で学生にプレゼンをして、
デザインコンペをすることになった。

私の最終的な目的は、美術大学と山村(産業)のコラボ。そこ
が正式なビジネスとしてたどり着くには、時間がかかるとは思
うが、まずは、一歩一歩と小さなところから始めたい。


さて、今日の題名は「85年」



<木>と人間のかかわり展’85
 「TO HAVE、 TO BE WITH WOOD」



実は、この教授が、「木」と人間のかかわり展というイベント
をクリエイトした年なのである。日本デザイン学会を中心とし
て、林野庁、京王電鉄に、協賛してもらい、京王デパートにブ
ースを展開。多くの民間企業が参加し、エネルギー、木工、デ
ザイン、世界の木の展示、商品の陳列、住宅紹介、などのブー
スをおいた。癒しの空間がたくさんある。木とのふれあい、自
然という訴求内容だ。いまの愛知博覧会のようだ。

「TO HAVE、 TO BE WITH WOOD」
というタイトルもカッコイイとは思う。


しかし連続性がなく、いい形では終わらなかったという。その理
由は、いろいろとあるが、ひとつに「85年」というところに私
は目がいった。その年は「つくば85」なのである、科学の先進
性を謡った博覧会でにぎわっているころという時代背景であるの
だ。「時流」というのは、非常に恐ろしい。教授はもう二度と、
このようなイベントはしたくないという。果たして、今ならウケ
ルのか。ウケルならば、それは、教授が先見性が早すぎたという
のだろうか。私は木が好きだ。確かに好きだ。だから、今動いて
いる。私以上に教授は木が好きだ。昔から動いている。もし、今
が自然志向、無垢の木の志向、というのがただの流行であるなら
ば、私はなんと「ミーハーでちっぽけな存在」なんだろうか。

時代背景と逆行しながら、様々な過去の頓挫したプロジェクトの
素案を見せてもらった。今ならある程度加工すれば絶対に成功す
るだろう。そう思えてならなかった「85年」というキーワード
から、時流(時代背景)の怖さを知る。タイミングは大切だ。そ
して、今の自然志向という時代背景もいつ廃れるか不安である。
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