【情熱(好き×憤り)】   (二度目の内容です)


星野ジャパンが北京オリンピック出場を決定して久しい。韓国に勝っ
たときの星野監督のインタビューは鮮明に記憶に残っている。なぜ
なら「いや~、もうなにはなしてるんだか、わっかんないなぁ」という
ほど舞い上がる喜びに、最高視聴率43.5%というほどの熱狂そ
して錯乱ぶりが伝わった。

そんな星野監督のとある新聞記事で大好きなこと。それが「好き」
と「憤り」について。私はこの記事をある美容室で待たされてたまた
ま手にした雑誌で読んだのだがとても興味深かった。


「私はね、よくベンチを蹴っ飛ばしたり怒ったりしていますが、あれ
は、怒りたくて怒っているんじゃないんです。本当に好きな野球、
いや野球道を追求していると、これはおかしじゃないか!という憤
りに出会うからです。審判の判定だけではありません。しかし、
最近の若い人は怒らない。憤りがないのは、本当に好きなことを追
求していないのではないか?あらゆることにおけることであり、ある
ひとつのことを本気で好きで遣り通せば遣り通すほど、法律の矛盾
経済のゆがみ、政治の問題点など、色々とぶつかるはずです。」

私自身にも「好き」と「憤り」が両立している。ビジネス、農山村、子
ども、土地利用、地方の宝と、地方の格差など。ただ、その憤りと
いうのも私憤と公憤とがあるわけだがその峻別は難しいながらも、
本当に純粋に好きなことを追求して出会う憤りとは概して公憤的な
ものである。

情熱とは持続性ある行動力とみれば、それは「好き」×「憤り」である。

では「好き」や「憤り」に出会うにはどうしたらよいか、それが原体験
である。自分自身でしか経験していないもの。好きから始まっても、
憤りから始まってもいずれにしろ療法に出会わなければ、情熱は続
かないものである。

             
                 情熱
              (持続的行動力)
                  ↑
              好き × 憤り
                 ↓↑
                原体験


最近の自分はノホホンと好きなことをやっているように思っていたが、
どうも「憤り」が弱かった。しかし、自分自身に渇を入れようと内発的
に努力しなくても、まっすぐ追及していれば必ずその「憤り」にも出会
う。その原体験をもってして、好きと憤りの感情を喚起し、その上で、
中長期のベクトルを設計士、日々の課題に落とし込み、持続的に行
動してまい進していきたいものだ。
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