【遷都(この国のカタチより)】
カテゴリ: 本・映画・ニュース・メディア


この国のカタチを読み終えた。何がすごいかといえば、あいか
わらず司馬遼太郎の知的探究心と文献発掘力に圧倒される。一
人の人間が書いたとは思えないほどの知識量、我らが日本人の
誇りだと思う。歴史の話、日本文化の話、あるときは、杉桧の
美しさとその文化的背景を緻密に研究し、かつ生活から文化建
築まで幅広くその良さを伝えている章もあった。

今回は、平城京、平安京、鎌倉、京都、東京とそれぞれの首都
変遷の物語を短編ごとにまとめらてれていた。政治や法律や経
済の動きと「首都」の場所というのは、時代時代に大きく関係
している。それがよくわかる内容であった。


2010年で遷都1300年になる奈良平城京は、いまイベン
ト準備が粛々と行われている。平城京。当初、経済的かつ人的
な賑わいがなかったその平城京は律令制度という仕組みがあっ
てこそ国家を安定化させていたわけだが、何故、平城京がわず
か80余年で終わったのかそれは諸説色々ある中で「仏教」と
「大寺」の存在が大きいとう司馬遼太郎の仮説。

平安京はその二の舞にならぬよう、京都には「宗教(仏教)」
を持ってくるような大寺は建築させなかった。いま京都に寺院
がたくさん残っているのは、あれは私社であり大寺ではないの
である。奈良の平城京は次々と大寺が建ち、僧の力が強くなり
政治が安定しなかった。

また、明治維新での東京遷都においては、実は薩摩の兵学者で
ある伊地知正治が大阪への遷都を論じられていた。そう、大阪
説が最初だったのだ。その大阪案が浮上してこそ、後に、東京
案が挙がるのである。

その伊地知の論拠が出たその後に「前島来輔」という署名で、
大きな構想力をもって精密な思考が明晰な文章を大久保利通に
投書した。この内容は、大阪は要するに非で、江戸こそしかる
べきだといったものだった。


1)蝦夷地の開拓が重要となっていく中
    大阪では蝦夷地から遠すぎる

2)海外から来る大艦巨船のための修理施設がない
  東京には横須賀がある

3)大阪は市中の道路が狭く郊外の野が広くない
  江戸は抱いて意図をつくる匹敵の地である


これらを大久保利通に対して投書し、大久保の卓越した決断力
がこのときあやざやかに躍動し、この一書生の投書の論旨に服
して、江戸を持って首都とするに決めたという。


 ①政治を動かす、ロジカルで具体的な「論書」の重要性
 ②その「論書」を解釈し、動かす「人」と行動力

いまの仕事にも落としこめられる。文書化の重要性と、そして
行動化への日々実践。明日はない、毎日毎日が学びの場である。
本日もありがとうございました。
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編集 / 2007.12.06 / コメント: 0 / トラックバック: - / PageTop↑
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地域ブランド創造を切り口に、地域再生、森林再生に携わる古川大輔が現場感あふれる日々をブログにアップ。コンサルタント視点のコラムもあり、地域経営、会社経営、人生経営のヒントにもご覧ください。 ~地域・地方にこそ美しい日本の宝あり~

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株式会社 古川ちいきの総合研究所 
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