【We can't forget who we are】
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いまさらながらラストサムライを見た。高校生のときにラスト
オブモヒカンという映画を見たのだが、まさにそれとかぶるよ
うな気がした。

文明とは「誰もが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機
能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ「不合理で、普遍
的ではない」特定の集団のみ通用する特殊なもの。と司馬遼太
郎はいう。

明治維新後の散髪廃刀令(1871年、明治4年)がもつ深さ
がこんなにも情緒的かつ神秘的に「憤り」を噴出させながら説
明してくれた映画に出会得るとは思わなかった。やはり文明が
文化を凌駕するとき、その力は宗教的ですらある。しかし、そ
れもいまの我らが見るからであり、立場や時流でどちらが宗教
的かなんてわからない。その基準は地と図の関係であり、時代
によってどっちが地か図か変わる。大衆化された資本主義と西
洋化の一辺倒に飽きたからこそこの映画が生えるのは事実でも
ある。


しかし、日本人の誇りとは何だろう。
それは「独自性」そのものだと思う。

倫理なのか命なのか正義なのかイエなのか重用する軸が交錯し
ながら存在していた矛盾多き武士道に、どうしても一本筋をつ
けるとしたら「自分への厳しさ」が徹底されされているという
点にあると、映画では伝えていた。


「我らは古きと新しきに和をもたせし者の刀なり」


トムクルーズは、Integrity(誠実)、Royality(忠誠心)
Friendship(友情)、passion(思いやり)というものを伝えた
かったという。


髷は切っても、刀を帯びることをやめても、そこに武士道とし
てのサムライ魂は引き継いでいくと西洋化してしまった軍人や
役人も我に還る。だから、明治天皇がいったこの言葉が私はと
ても印象に残ったし、好きになった。



            「We can't forget who we are.」


areがwereではない。

(またこの映画ではareがwereとして表現することで深いなと
思うシーンも別にあった)

さてそれも原体験あってこそ。
我々がどんなにもがいても武士道は分からない。戦争体験もな
いし、広島も忘れられてしまうかもれない。あくまでもそれは
我々の原体験に基づく。そうなると原体験にある武士道を引き
継いだ残り物はなにか、それが、理屈なき厳しき「躾」なのか。
それが美徳にあった日本。映画を見て情緒的快楽的に楽しんで
しまっては情けない。ぼくも「who we are」が何なのかを、
過去の歴史、育った地域、教育してくれた両親や地元のサッカー
コーチなどに照らし合わせて、自分なりに残していきたい。まだ
高校野球の世界にはあるかな。また夏が来ている。
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編集 / 2007.07.16 / コメント: 0 / トラックバック: - / PageTop↑
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地域ブランド創造を切り口に、地域再生、森林再生に携わる古川大輔が現場感あふれる日々をブログにアップ。コンサルタント視点のコラムもあり、地域経営、会社経営、人生経営のヒントにもご覧ください。 ~地域・地方にこそ美しい日本の宝あり~

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