【やりきった感とは何か】
カテゴリ: マネジメント/自己成長



「やりきった感って何だろう。」

そんな話題をふたりでした。この友人とは、大学サッカー部の
定期戦で知り合った京大の元キャプテン。「昼(サッカー)は
負けたが、夜は勝つ!」という力強い校風に押されて、私は、
酒に飲まされて、救急車に運ばれたのが懐かしい。あれは、忘
れもしない22歳の誕生日だった。話は戻る。

あの4年間のサッカー部、振り返れば確かに「やりきった感」
がある。もっと頑張れただろうというのは当然あるし、後悔は
多少なりともしているものの、いい未来の糧を得られた。そし
て自分に足りないものが何かも学びとなった。確かにやりきっ
たと思える。

しかし、最近は・・・。


なんだろう。最近は、やりきった感がなかなかない。これは
マイナスのイメージではなく、プラスイメージでもそうだ。
目標がそもそもなかったからかと思えばそうでもない。しかし、
たとえ近隣の未来に目標を設定し、その目標を達成できたとし
ても、やりきった感というのは、なかなかない(私だけか)。
とくに最近はそうだ。


頑張っていないのかというとそれは論外であるが、頑張って
完遂したといっても「到達点で次の目標(タスク)が、その
組織にいながらも、新たにまた自然に生まれるから」やりきっ
た感がないのだろうというのが今日の話で落ち着いたところだ。


次から次へとタスクが増えるという現実。それはそれでいいが
なんとなく節目がなくずらずら時の流れに身を任せてしまう。


するとこのままでは「やりきった感」という感覚なんてないの
だから、それは自分で「終わり」を定義することが大切だと。
さらにその定義を完遂した後、過去を捨てることが肝要である。
自分の仕事、自分の家庭、自分の未来、自分の友人知人(お客
様)の未来、どうだう。成長のステージに節目を作り、第二第
三の生涯学校に通うという感覚である。


居酒屋談義。人は過去の話をするか未来の話のどちらを多くす
るかで二分できる。私たちは未来に死ぬために生きる。やりき
った感なんて一生ないかもしれない。しかし、サッカー部の時
にはあった。小学校卒業、中学校卒業、高校卒業、大学卒業、
それぞれに、何年で終わるという節目があったからやりきった
感があったのだろう。


戻れない自分がいる。


いま30歳。22歳を過ぎると何歳の時に、何をしていたかす
ら忘れる。それは「節目」がないからである。自分で「終わり」
を決めることである。生涯学習、次のステージの学校へいくた
めに。社内環境の中でも、地域環境の中でも、家族環境の中でも
しっかりと「終わり(ゴール)」を決めたい。

3~5年単位で終わりを決めて、突っ走ろう。決めること、決
める勇気、人生戦略の設計なくては、仕事も違う。また彼と色
々語ろうと思った。関西で、全国で友人のネットワークも増やさないと。

ありがとう。

自宅の机の上にちょっとした設計図「書き」ました。



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編集 / 2007.06.09 / コメント: 0 / トラックバック: - / PageTop↑
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地域ブランド創造を切り口に、地域再生、森林再生に携わる古川大輔が現場感あふれる日々をブログにアップ。コンサルタント視点のコラムもあり、地域経営、会社経営、人生経営のヒントにもご覧ください。 ~地域・地方にこそ美しい日本の宝あり~

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株式会社 古川ちいきの総合研究所 
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